祖母の手紙
祖母が退院してホスピスに入所してから2週間が経ちました。
日に日に食が細くなり、今ではほとんど食べられないようです。
自力で起き上がることもできなくなり、ほとんど寝たきりの生活になりました。
それでも話をすることは出来るので、会いに行くとできるだけ和やかに会話するようにしています。
祖母がガンの宣告を受けたのが2016年の秋。
そのときにはすでに乳がんが骨まで転移していました。
それから今年の2月までは、自宅で一緒に暮らしてきました。
当初覚悟していたよりは、長く小康状態が続いたと思います。
そのことには、本当に神様に感謝したい気持ちです。
いまは、どんどん細くなって動けなくなっていく祖母の姿が痛々しく、辛く感じることもあります。
でも、残された時間がどれだけあるのかは分からないけれど、笑顔で過ごせるならそれが一番いいと思っています。
そのために、家族はみな、辛気臭くならないよう努めて明るく接しています。
実の娘である母があっけらかんとしているのが、何よりの救いです。
もう字を書くことも難しくなった祖母ですが、先月の祖母の誕生日に、祖母の妹が手紙を送ってくれました。
自分では返事を書くことができないので、「私が返事を書いてあげようか?」と提案してみました。
そして、祖母の言葉を聞き取り、手紙をしたためました。

もともと私は書くことが大好きで、趣味である文通も10年以上続けています。
もっと早く、思いついていればよかったな。
だけど、祖母はとても喜んでくれて、私も心が軽くなりました。
一緒に写真も送るからね、といって撮った祖母の姿。

実際の病状よりもとても元気そうに撮れて、きっと祖母の妹も気持ちが和らぐと思います。
手紙の最後に書かれた「少しでも私より長生きしてください。」という言葉。
きっと、そう遠くない将来に、現実になるでしょう。
それは、私たち家族にとっては悲しいことだけれど、祖母にとっては幸せなことなのかもしれません。

今から病気を治していくことはできないのであれば、どうか少しでも安らかな日々が続きますように。
日に日に食が細くなり、今ではほとんど食べられないようです。
自力で起き上がることもできなくなり、ほとんど寝たきりの生活になりました。
それでも話をすることは出来るので、会いに行くとできるだけ和やかに会話するようにしています。
祖母がガンの宣告を受けたのが2016年の秋。
そのときにはすでに乳がんが骨まで転移していました。
それから今年の2月までは、自宅で一緒に暮らしてきました。
当初覚悟していたよりは、長く小康状態が続いたと思います。
そのことには、本当に神様に感謝したい気持ちです。
いまは、どんどん細くなって動けなくなっていく祖母の姿が痛々しく、辛く感じることもあります。
でも、残された時間がどれだけあるのかは分からないけれど、笑顔で過ごせるならそれが一番いいと思っています。
そのために、家族はみな、辛気臭くならないよう努めて明るく接しています。
実の娘である母があっけらかんとしているのが、何よりの救いです。
もう字を書くことも難しくなった祖母ですが、先月の祖母の誕生日に、祖母の妹が手紙を送ってくれました。
自分では返事を書くことができないので、「私が返事を書いてあげようか?」と提案してみました。
そして、祖母の言葉を聞き取り、手紙をしたためました。

もともと私は書くことが大好きで、趣味である文通も10年以上続けています。
もっと早く、思いついていればよかったな。
だけど、祖母はとても喜んでくれて、私も心が軽くなりました。
一緒に写真も送るからね、といって撮った祖母の姿。

実際の病状よりもとても元気そうに撮れて、きっと祖母の妹も気持ちが和らぐと思います。
手紙の最後に書かれた「少しでも私より長生きしてください。」という言葉。
きっと、そう遠くない将来に、現実になるでしょう。
それは、私たち家族にとっては悲しいことだけれど、祖母にとっては幸せなことなのかもしれません。

今から病気を治していくことはできないのであれば、どうか少しでも安らかな日々が続きますように。
- 関連記事
-
-
異国の地に暮らす祖母
-
祖母の手紙
-
あれから2年
-
スポンサーリンク